老後についてまじめに考えてみる

両親が自営業者で、国民年金(+基金)加入者だったせいか、小さい頃から「年金だけでは暮らしていけない、何とかしなきゃいけない」と二人が話すのを聞いて育ってきた。
皮肉にも、しょっちゅう老後の心配をしていた二人は年金をもらう前に亡くなってしまったが、そんな両親のお陰で就職してから個人年金だけは自分で積み立ててきた。

長年、国民年金的世界観を叩き込まれてきただけに、数年間サラリーマンをやってたにもかかわらず、ずっと厚生年金は国民年金基金程度と思っていたのだ(大ヴォケ)。

だから結婚後、夫が定年退職した義父母に仕送りをしてないと聞いた時には驚いた。年金だけで十分暮らしていけるだけもらっているから大丈夫とか、あろうことか、50を過ぎ既に義兄を凌ぐ給与を稼ぐ義姉が自分の高級車を買い替えるのに義父に無心をしたとか何とか、もう自分の中の「自営業/国民年金」的世界観じゃ計り知れない感覚だ(なぜか夫もわからんと言う。なんできょうだいでこんなに感覚が違うんだろー)。義姉のことはつゆ知らず、逆に車を買い替えると聞いてイノセントに100万円渡し、義父母を焦らしてしまったこともある。

この感覚のギャップは何? 健保といい年金といい、サラリーマンはそんなにも優遇されてるのか?


・・・しかし、その手厚い厚生年金も今やどこまで当てにできるかわからない。国民年金ベースの老後に不安を抱く両親を見てきた以上、たとえ自分に厳しい状況になったとしても、本質的に年金制度は一本化されるべきだとも思う。

とにかく国の制度は不安だらけだし、夫は50代に突入した。ここいらでもう一度将来を見据えてきちんとプランを立て直すべきだろう。

だが、先日紹介してもらった個人年金保険は、20代の頃に購入した商品と比べるとあまりにも魅力がなかった。もはや他人任せの運用は当てにできない、そんな時代なのだ。専門家といってもしょせんはサラリーマン。人のカネが増えようが減ろうが自分たちの利益だけは確保できるビジネスモデルの下で働く人たちだ。そんな人たちを当てにするなんて、まっぴらご免。

それくらいなら、しばらくは確実な定期で置くなり折を見て外貨を貯める程度にしておいて、義父のように時間的精神的に余裕ができる老後に入ってから、自分で運用する。自分が運用で失敗した痛みなら、仕方がないと受け入れられる。

それまでは、とにかく働く。夫が60歳から65歳までの空白の5年間の間、自分が少しでも家計を支える。夫が65歳まで働き続ける可能性もあるが、収入がかなり落ちるのは間違いない。それまでに自分がそれなりの給料を稼ぐようになることだ。

3年勉強して44歳。それから10年なり15年なり雇用形態は正規であれパートであれ、看護師として働き続けていたら生活は何とかなる?・・・いや、子供を抱えてる以上、何とかしなきゃなんないんだろうけどさ。

人生最大の投資は、自分に賭ける学資の300万、ってか(爆