La Dernière Classe(March-4)

とかいっても、残念ながらフラ語の授業じゃなく、毎週通い続けた英会話スクールです。
たったの1年足らずですが、一般の賃貸マンションに住むことになった松山では、ほぼ唯一のコミットできる人間関係だっただけに、それを打ち切るというのはなかなか重いものがあります。今まで、転勤で不可抗力的に人間関係が切れたことは何度もありましたが、今回は自分の意志で。そんなプレッシャーに押され、当初はつい息子の受験とか経済的な問題を逃げ口上に使おうとして、危うく撃沈しかかったほどです(ああ主婦病)。
今日も気分が重くて、よほどそのまま休み逃げしてしまおうかと思いましたが、なんとか近くの洋菓子店で手土産を調達して出席すると、メンバーはK子さんとU子ちゃんの3名のみ。法事のY子さんはともかく、RさんとT子さんの欠席理由は謎。せっかくだからみんなの顔を見てきちんと辞めたかったのだけど、こればっかりは。しかも、今日お休みのRさんと4月から仕事を始めるU子ちゃんも近く辞められるとか。結局、10数年のお付き合いになるというK子さん、Y子さん、T子さんの3人だけが残ることになりそうです。
そんな状況だけに、「これで人間関係がぷっつり切れるのも寂しいよ」と、K子さんとU子ちゃんがお花見企画を打ち出してくれました。ううう、うれしい。K子さんは私を大学の野外活動にも誘ってくれようとしていたらしく……多少無理をしてでも出たいっ、うう。
レッスンは、いつもと同じく雑談の後、念願の(?)青バラ翻訳に。やはりネイティブの先生に英訳を教わるのはすごい勉強になる。3枚中1枚しか進まなかったけれど、細やかなニュアンスの違いを教わることができて満足だ。おもしろかったのは、最近読んだライティングの本では、ほとんどが動詞・能動態表現中心の書き方を推奨しているにもかかわらず、M先生がそうした風潮にかなりの異議を唱えていた点。「趣旨はわかるけれども、極端に走りすぎている嫌いがある」だって。そのあたりは私もうっすら感じていた*1だけに、ネイティブ、しかもそうした傾向に率先して走っているであろう米国人のM先生がこういう考えを持っているというのが新鮮だったし、ちょっとホッとした。
…どうでもいいことかもしれないが、「yurinもこれが最後なんだね、来週は来ないんだね」と言ったときの先生の表情がすごかった。いつもと全然違う女殺しの顔←強制終了。
帰宅後、Rさんにお花見の件を連絡したのだけれど、電話口の声は固く……ずっとレベルの違いに苦しんでいたという。確かに文法や細かいニュアンスについて議論になったときにはそうした雰囲気はあったかもしれないなあ。でも会話ではまったく遜色なかったのに……むしろ、私のほうが何度もM先生に怪訝な顔をされてトホホだったと思うくらいで。彼女の真摯に学ぼうとする姿から得させてもらったものが大きかっただけに、残念だ。

*1:今日、翻訳練習に使ったNEJM論文抄録の2番目のものなど、weだらけだ。論文抄録、しかも方法の部分ですらこんなに受動態を避けるなんてーー