がん対策基本法関連

10年前に母が遭遇したのと同じ状況が、より厳しくなって一般化してきたという印象だ。
まるでベルトコンベアーに乗せられるように、病院を転々とさせられる・・・母も拠点病院を退院させられてから、何らかの処置を施してくれる場を求めて全国を転々とした。いくら医療の限界を突きつけられても、自分の命をそんなに簡単に諦められない。特に母は50代前半だったということもある。人は必ず死ぬものだということは受け入れなくてはならない。平均寿命を超えても自分の死を受け入れられない人が増えているというのは、どうかと思う。が、やはり平均寿命までは生きたい、生きられると思うのは人情じゃないか? 
それにしても、がんと闘い続けたいと希望する患者の置かれた状況がここまで厳しいものになっているとは。抗がん剤の点滴を受けたままの状態で、1時間半も自分で運転して自宅に帰らなくてはならないなんて、絶句。
24時間対応の在宅緩和ケアを行う開業医の姿にも危ういものを感じた。医師だって人間で生活があるのだ。いくら崇高な使命感を持っていても、このままでは燃え尽き倒れてしまうのではないか。個人の努力に頼りすぎたシステムは必ず破たんする。そうなる前に、システムを改善していかなくてはならないのだろうが、誰がどうやって。予算は?

平均寿命どころか、青春を謳歌することもなくがんと闘う子どもたち。。
あんな小さな体で厳しい治療を受けるということ自体過酷なのに、それに追い打ちをかけるような小児がん専門の医師が不足しているという現実。
「さまよえるがん患者」と同じく、根っこにはマンパワー不足と医療費抑制政策の問題が横たわっている。専門医がいないという状況下で起こったミスを持って医療従事者を裁いたところで、訴えを起こした人への金額的な補償はなされても、医療は改善されず、マンパワー不足に一層拍車がかかるばかりだろう。
医療を資源と捉えた上でシステムを構築していかなくてはならないという視点は、もっともだと思う。