血圧測定トレーニング

看護学校のクラスメートと血圧測定の練習をすることとなった。
・・・と言ってもそれは表向きの目的で、主目的はおしゃべりだ(笑
わが家に来てくれたのは、Mちゃん(20代後半)という、見かけは華奢で一見おっとりしてるようだけど、高校卒業以来、介護の仕事をしながら日本中やアジアを廻ってきたというとってもタフな子だ。以前から、ちょこちょこと英語学習の相談などを受けたり集団で飲みに行ったりはしていたけど、なんとなくお互いに話したいなと思いつつ話したことがなかった、というような関係。

家でテキトーに作った昼食をいただきながら、学期明けの試験や学校のことなどを楽しくおしゃべり・・・してたのだが、なぜか爆弾発言をいくつか聴くこととなってしまった。
爆弾その一。うちの学校では飽き足りず、四年制大学への編入を考えているという。いつもクラスで一緒にいる同年代の友だちには、どうしても話せなかったそうで・・・毎日そこそこ仲よくやっていても、そういう真剣話ができない距離感がいかにもイマドキっぽいというか;; しかし、そういう純粋な向上心というか野心のようなものを目の当たりにして、自分がいつの間にか「だって転勤族だから」「だって主婦だから」「だって年だから」といった枠を張り巡らせていることに気づかされた。野心をもつのに迷惑やお金はかからない。アラフォーも大志を抱かにゃあ、なんてね(爆
そしてもう一つの爆弾は、、発端は彼女自身の問題だけど、それだけで片付けられない問題を孕む、毒のあるものだった。私は今の学校を選ぶ際、自分の置かれた立場や役割、今の能力、時間的な限界などを考慮して、いわゆる学校のレベルとかいうものに関しては、かなり割り切ったつもりだった。でもでも、そこまで割り切っていても、学校から彼女が受けたという対応はかなりショッキングなものだった。
看護学校の教師というものは、看護師であり教師でもあるわけで、いわばケアというもののプロ中のプロだ。それが自分の学校の学生に対して、彼女の言うような非人道的な対応をしたということが事実なら・・・学校に対する割り切りのレベルをもう一段階下げなきゃならない。
教師がその人自身としてどう生きているか、自分の講義内容をその人の人生の中でどう実践しているかということの如何にかかわらず、あくまで「その人から得られるものだけ得たらそれでヨシ」としなくてはならない。
もちろん、医師・看護師としての技量、教師としての技量、人格、すべてにおいて尊敬できる方はいる。ただ、そうでない人もいる。


・・・というようなことを二人で確認し合うことができ、なかなか有意義な時間が過ごせた。今まで年上の友人は何人かいたけれど、実生活の中でこれだけ刺激をくれる年下の友人と出会ったのは、これが初めてかもしれない。まあこれからの人生、そういう機会のほうが増えてくるんだろうけどね。。