いのちのおわりにみみをすます

鳥取ホスピス診療所の院長を務めているという、徳永氏の講演会に行ってきた。
飄々とした語り口で、最初から最後まで笑いっぱなしの講演だったが、要所要所でドキリとするような言葉に引き付けられた。

  • 6歳の子供でも95歳のお年寄りにとっても、死は初めてのこと。死の宣告は恐ろしく、びっくりして、哀しいことだ。子供の死を不幸なことだと断じてはいけない。死というものに差はないのだから
  • 自尊心はいつかは崩れる。自分で排せつできるうちが花
  • 意味のないことの意味を考える
  • クリティカルパスのような誰にとっても公平平等に与えられる医療の普及により、医療者が患者や家族の痛みを分かち合うといったシェアリングの精神が失われてきているのではないか
  • 命は借り物。身体はぬいぐるみのようなものだから、終わりが近づいたら脱いで返す

といった言葉が印象に残った。
自分にとって、10数年前に両親をホスピスで看取った経験が、看護学を学び直すきっかけの一つになっている。両親の訴えに耳を傾け、両親の希望を精一杯尊重してくれた病院スタッフのケアには今も感謝している。が、そう思う気持ちの片隅で、「何か違うんじゃないか」という気持ちが、なぜかずっとくすぶり続けていた。
今回の講演を聞いて、その「何か」がふわっと感じられたような気がする。

死ぬのは、こわい? (よりみちパン!セ)

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子供たちに読ませたい
詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡 (朝日新書)

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