プライドの壁

フツーの講義が2コマに静脈注射の再試験。
まずは、フツーの講義のほうで感じた、「質問力」に関するプライドの壁について。
今日受けたフツーの講義のひとつは、実習先病院の知的な副院長が、強烈なスピードで淡々と教科書を進めながら、時折高尚な問題を学生に答えさせるというもの。ぼそぼそした講師の声も災いしてか、クラスの半分近くが睡眠状態というのが常態化している。
ところが今回は試験が近づいていたせいか、最後に講師が質問を受けると言った途端に、質問の嵐。
といっても、講義内容に関するものではなく、「試験はどんな感じですか」「選択ですか、記述ですか」「何問くらいですか」「カッコは問題集と場所変えますか」といったギトギトの質問ばかり。ひぃぃいぃ
高尚な講義のあとでこの手の質問をすることが、自分にはまだどうしてもできない。若さ、ということもあるんだろうけど、若くない人でもやれる人はやれるし、若い人でもできない人はできないようだ。
しかし、講義は眠いし難しすぎてよくわからん+でもとにかく試験には受からなくっちゃならん→だったらたとえ「やっぱり○○(うちの学校)の子はレベル低いな」と思われても、確実に点を取るため四の五の言ってられない、んだよね。
そして講師のほうとて、かわいい女の子たちの質問の嵐に、いつもまにか「もーしょーがないなー」といった感じの笑顔、、センセイも人間だ。無反応で寝られてるより嬉しいのかもしれない。
・・・この壁、いつかは乗り越えなきゃなーーと思う。


そして、静脈注射の再試験で乗り越えたちっちゃいプライドの壁。
他のクラスメートたちより長く生きてきている分、学科は多少できているのだが、演習や実習の類は厳しい道を歩んでいる私。
年配組でも、介護や看護助手などの関連業種経験者、あるいは親や姉妹に看護師がいるとまだ救われるのだが、そうした経験値やコネなど一切ないから、自動車教習所のように年齢が確実にマイナス要因となる。
「自分はこういった技術系の演習が不得手なのだ」と認識することが、まず第一の壁。これで随分楽になれる。
さらに、そういうことを若いクラスメートはわからないから、再試験の場に白衣を着て臨むと、「え、なんでいるんですか」といったことを言われまくるのだが、「演習はアカンのよ」「試験の時は精神的なダメージがあって」などと自分のダメな点を笑顔で言えるということが第二の壁。
その上で、落っこちた者同士で練習を行ったり、励ましあったりするという第三の壁を乗り越えられると完璧だ。
こうした壁を乗り越えたことで、緊張すると動悸が激しくなってペースを著しく乱してしまうという自分の欠点をなんとか抑えることができたように思う。再試験のときには、比較的落ち着いて気楽に取り組めた。先日行った、英語のシットコム発表の経験も少しは役立ったのだろう。


壁を認識して乗り越えていく努力は成長につながる、と信じて頑張るしかなーーい;;