善き人のためのソナタ

松山映画祭で見る作品、4作目。
上映時刻は18時半からなので、家族で映画館隣のレストラン街にあるお蕎麦屋さんで夕食をとり、引き続き息子と二人で映画を見てきた。もはや夫ですら付き合ってくれないドイツ映画に同行してくれる息子の存在がありがたい。受験生ということは、ちょっと置いとくとして。

舞台は'84年の東ベルリン。国家保安局(シュタージ)のヴィースラー大尉は劇作家とその恋人で女優の生活を監視し、彼らが反体制であるという証拠を探るよう命ぜられる。
"Das Leben der Anderen"という原題のとおり、他人のプライベートな生活を何から何まで盗聴し、記録報告する任務である。当初は常に冷静で感情の欠片も見えないヴィースラー大尉だったが、感情に充ち溢れた彼らの生活や心の動きを垣間見るうちに、傍観者であるはずの自身が少しずつ変わっていく。そしてついには、彼らの生活や命を守るために報告の改ざんまでしてしまう。
大尉を踏み切らせたのは、邦題の「善き人のためのソナタ」という曲だ。党によって完全に干された、才能ある演出家の自殺のニュースを聞き、劇作家が静かにその人から託されたこの曲を弾く。マイクロフォンで盗み聞くたった一度の短い演奏が、ロボットみたいだった人の人間性を回復させる。
言論や行動の自由を奪われる生活の恐ろしさが映画の端々で重苦しく描かれているだけに、どれだけ圧力をかけられていても人はやはり人らしく生きたいのだとか、これだけ気持ちを抑えつけられているということが人にとってどれだけ不自然かといったことが力強く伝わってくる(腐りきって完全にダメっぽい人もいるみたいだったけど)。

東ベルリンの街中をよたよたと走るトラバントの群れとか、シュタージ食堂でのホーネッカーに関するジョークがジョークにならない恐ろしさとか、ヴィースラー大尉が任務中に劇作家から失敬したブレヒトの詩集をむさぼり読む姿や、壁の崩壊後に郵便配達員としてカートを引っ張る大尉の、相変わらず素晴らしくピンと張った背中などなど、細部からじわっと映画の語りかけが体に刻み込まれてくるような作品だった。


大尉役のウルリッヒ・ミューエはこの映画の公開直後にがんで亡くなったらしい。彼は東独出身の俳優だったそうだけど、兵役中に受けた胃潰瘍の手術ががんの遠因となったとか、彼自身が当局の監視下に置かれていて、当時の妻が彼の生活を密告していた可能性があるとか……映画に描かれている世界のリアルさが窺い知れる。

劇作家役の人は確か「飛ぶ教室」にも出ていた俳優さんかな。やっぱりピアノ弾いてたような……何気にさらりと弾けちゃう男の人ってカコイイ。息子も頑張ってほしいね(ピアノ修業中)。