Paul Auster "Moon Palace" 108P~118P -16

どうやらマーコの主な仕事は,エフィング老人の指示する本の読み聞かせらしい。その多くは,初期の新世界探検・発見もの。地上の楽園を求めて種々の冒険に出,ついにこれを捜しあてたという5世紀後半アイルランドの聖者「聖ブレンダーヌス」あたりから始まって,言わずもがなの「コロンブス」,今日のテキサス州のメキシコ湾岸を探検したという16世紀スペインの探検家「カベサ・デ・バカ」,19世紀イギリスの旅行家C.M.ダウディの「アラビア砂漠紀行(?)」,アメリカの地質学者ジョン・ウェスリー・パウエルの「コロラド川遠征記」,18〜19世紀頃インディアンに捕らえられた人たちの体験談等々。
読み聞かせの仕事は思ったよりも大変なようだが,続けるうちにだんだんコツのようなものもわかってくる。…問題はやはり雇い主。何しろ人を翻弄するのが趣味のような老人だ。目が見えているのかいないのか,足も歩けるのかどうなのか,さっぱりつかみ所がない。その上,食事のマナーは最低なんてものじゃない。食事中,心臓発作や吐くふりをするは,スープはわざと凄まじい音を出して吸い込むは。しかもその音は…
piercing(つんざく) the are with all the clamor(騒々しい音) and commotion(激動) of defevtive(欠陥のある) Hoover(フーバー電気掃除機).
てな具合。さらに,入れ歯を外して目の前に置くは,ゲップをするは,食べたものを口から垂らすは,とばすは,ともう読んでるだけで食欲が失せる。マーコは,もはや一生これらの音を忘れることが出来なくなってしまったそうである(お気の毒に)。不意に,忌野清志郎の「高齢化社会」を思い出す(「Memphis」に収録)。彼のテーマソングにして差し上げたい。
しかし,この老人の難しさはそれだけではない。単なるひどいやつだと考えられるなら,まだ扱いようもあるのだが,時折,他人に対し非常に哀れみ深い態度を取ることがある。しかもその哀れみは,彼を知れば知るほど魅了されるという深みのあるものなのだ。そんな彼とマーコがどうにかこうにかやっていけるのは,既に彼と9年間暮らしているヒューム夫人の存在が大きい。彼女が彼の嫌み攻撃を絶妙にやり過ごすのを見て,マーコもなんとか彼とつきあう術を覚えていこうとする。
このように,一見手のつけようのない嫌み老人エフィング氏だが,ふとした拍子にマーコが母の交通事故死の話を始めたとたんに態度が一変。彼に37年間雇われ親友でもあったロシア人が最近交通事故で亡くなり,その結果マーコが新たに雇われることとなったという事情が明らかになる。それで敢えて,こんな変人ぶりを通していたのか…,どうかは定かではない。
ちなみに表題は,ヒューム夫人がエフィング老人にむかついたとき,彼に向かって吐く暴言。これらを耳にして,彼はどうやら喜んでるのではないかと思われる。まったく食えぬ爺さまである。